昨日に引き続き、「滋賀県のななえさん」の体験談をご紹介します。
私は恐怖心がなくなればいいと思っているのに、自分を守ってくれるものとして、大事に掴んでいたのです。
でも恐怖心は、微生物から始まるご先祖様が延々と私に命をつなぐために必要だった感情で、宇宙の愛だったと気付いた時、心から恐怖心に対して感謝が溢れ、ずっとそばで私を守っていてくれていることへの愛しさで、涙が出ました。
そして、一つ一つの恐怖に感じた出来事や、いじめてくれた人ほど、「ななえ」は素晴らしいのにそんなんじゃないって、厳しい態度で教えてくれていたと気付きました。
私のことを嫌っていたのではなく、自分を否定して生きている私を、否定してくれていたのだと気付きました。
最初から、みんな愛してくれているのに、分かって欲しい、愛して欲しいと求めて、もがいて、どうしようもなくなっていたのだと気付きました。
恐怖心こそが、私に『もっともっと愛で生きろ!』『真我の追求のブレーキをかけるな!』と、いつも応援してくれていたのだと思えました。
全てが愛でしかなくて、全てが自分の問題でした。
だから、今までの自分と真逆な人間になり、愛を放てる人間になるために、苦手なことをあえて選んで取り組もうと決めました。
講座の中では、しどろもどろでも、アウトプットを積極的にしました。
苦手な人を選んで話しかけました。 いじめられていた過去など、隠したいと思っていたことを人に話しました。
人の多い関西支部がある大阪へ行くこと自体怖かった私が、ボランティアスタッフをさせてもらうことができました。
それを続けていったことで変化がありました。
それは、人がどんどん大好きな自分になっていっていることです。
もともと一つの愛に戻してもらっているように感じました。
私は、『人に優しいね。』と言われることがありますが、それは気が弱くて、人目を気にするからだと思っていました。
でも、この性格こそが、ご先祖さまと両親から頂いた愛だと分ったとき、私の役割が少し分かった気がしました。
介護の仕事をしている中で、パーキンソン病で体の不自由な方から『あなたは、いつも自信をくれる。』と言ってくれました。
介護を続けてきて、人と向き合ってきて、これほど嬉しい言葉はありませんでした。
弱虫だったからこそ、目の前の人の苦しい気持ちに寄り添い、愛を引き出せる人になろうと思いました。
私には3人の子供がいますが、子供の卒園式でも泣けませんでした。 子供の発表会では、周りのママさんの目ばかり気にして、子供を見れていませんでした。
出産のとき、感動しなかったのに嬉しいフリをしました。だから子供を本当に愛しているか自信がありませんでした。
周りの目だけを気にして生きてきた情けない母親でした。
この続きは、明日掲載させていただきます。