昨日に引き続き、「滋賀県のななえさん」の体験談をご紹介します。
私は、母との和解を信じて、再び「真我開発講座」の受講を、何度も何度も数えきれないほど繰り返しました。
受講中、一歳の頃のことを思い出しました。 祖父母が私を宗教に連れて行こうとしたそうです。
その時、母のお腹には赤ちゃんが居たのですが、産んでしまって乳児の世話に追われたら、私が宗教に連れて行かれてしまうと思い、産むことを諦めたそうです。
その罪悪感から、父、祖父母、自分自身を恨みながら生きてきたのだと分かりました。
しかし、それを知ってからも、私は母を許せないでいました。
「母が弱い人間だから。」「父が母を支えてあげなかったからだ。」「祖父母が宗教をやっていたせいだ。」と思いました。
私は全く分かっていませんでした。
母は私を守るために、心を鬼にして、お腹の赤ちゃんを諦めたことでしょう。
心を鬼にしたその時に、母は鬼の姿になったのではないかと思えました。
この鬼の姿は、私を守るために、そして亡くした赤ちゃんを愛しているが故の、ただただ深い母の愛だったと気付きました。
自分が鬼の姿になって、すべてを受け止めようとしていた母の姿は、そのままで尊い母の愛そのものの姿でした。
鬼とは愛でした。 この世にある鬼と呼ばれる全ての全ては、愛の姿なのだと思いました。
母は、祖父母を恨むことで生き抜いてきたのではなく、母は、私と亡くなった赤ちゃんの二人を愛するために生き抜いてきてくれたと気付きました。
また、母の父親であるもう一人の祖父は、私にとってはお小遣いをくれる優しい人でした。
しかし母にとっては、酒乱で怖い人だったそうです。昨年、その祖父が亡くなりました。
私たち孫に見守られての最後でした。 母はその祖父が亡くなる時、部屋の隅で睨みつけていました。
祖父は、最後まで母に恨まれたまま死んだと思いました。
しかし、最後の最後まで、自分の父が愛の人であると確信していたからこそ、これほどまでに睨みつけていた。 深く父を愛しているが故の姿だと、気付きました。
なぜ祖父が私に優しくしてくれたのか? それは、私が母の娘だからです。 大事な愛する子である母の娘だから、私に優しくしてくれていた。
祖父は、孫たちに囲まれて亡くなったけれど、本当は孫よりも娘である母に見守られて亡くなりたかったと思いました。 あなたのことを愛していない筈がないよ、という声が聞こえてきました。
先祖代々、延々とずっとずっと愛で繋がってきて、わたしが愛の証だと、ようやく気付くことができました。
父と母は、祖父と祖母そのものでした。
しかし、大調和に気付けてからも、現実面は厳しく、私のずっとずっと握っている恐怖心は簡単には消えてはくれませんでした。
日常生活で、愛で生きられない自分が悔しくて、天を見ては涙が溢れました。
この続きは、明日掲載させていただきます。