皆さま、こんにちは。このクリニックで「うつになって良かった!」を体感したカウンセラーの宮田です。
今回も「佐藤康行の太陽瞑想会」で、2022年6月18日にお聞きした「滋賀県のななえさん」の体験談を、4回に分けてご紹介させて頂きます。
私は、幼少期の頃から、頭の中は人への恐怖心でいっぱいで、うまく人間関係が築けず、周りから孤立していました。
大人になってからも、知り合いと会うのが怖くて、近所のスーパーに買い物へも行けませんでした。
仕事は何をやっても、続きませんでした。 アルコール依存症で、1リットルのワインを1日であけるのが日常でした。
パンを何斤も買って、一日に何度も食べては吐くということを繰り返していました。 自分の心を保つためならば、そちらの方が楽でした。
しかし、それに頼って現実面で幸せかというと、そんな筈などありませんでした。
ぜんそくの再発、うつ病とも診断され服薬が始まり、症状は10年以上続きましたが、人に嫌われるのが怖くて、その苦しみは誰にも言えませんでした。
頑張って明るくふるまい、人から『悩みなさそうで良いよね。』と言われるほどに自分を偽って生きていました。
その原因は、幼少期の家庭環境だと思っていました。
母は祖父母を恨んでおり、会話のない沈黙の中で家族5人食卓を囲んでいました。 私は祖父母も両親も大好きだったのでこの時間がとても苦痛でした。
母は鬼のような人でした。長時間の暴力や暴言に毎日怯えていました。しかし、母は夜になると泣いて謝ってくるのです。
そんな母だったので、恨むこともなく、ただ、喋らないように、反抗しないように、自分を押し殺していたように思います。
苦しくて、明日こそ消えてしまおうと思いながら生きていました。
そして、私は2004年頃に「真我開発講座」に出会いました。
時間をかけて母で心を掘って行き、母への感謝と母の愛にようやく気づくことができました。
しかし、その時から徐々に「母のせいだ!」という恨みの気持ちが沸き始めたのです。
私には祖父母と会話することを許さなかったのに、私の子である孫には優しくしたり仲良くする母が憎らしく感じました。
そして、時が経つにつれ、真我の追求からも離れてしまいました。
ある時コンビニで、自分の母であろう年老いた女性の手を引く娘さんらしき人の姿を見ました。
その2人の姿を見て、私は母への恨みが湧いて来て、私はこんな風に優しく母の手を引くことはできないだろうと思いました。
しかし、もし逆だったら、もし母が私の手を引く立場なら、母はどんなに醜く弱った私でも、絶対に手を離さず握り続けてくれるだろうという母の愛の確信を感じたのです。_________
この続きは、明日掲載させていただきます。