YSこころのクリニックスタッフブログ

現代のうつ病事情を読み解く!東京都江東区門前中町の心療内科・精神科「YSこころのクリニック」がうつ病に関する様々な情報をお届けします。

「48年間最悪だった親父と和解」体験談➀

皆さま、こんにちは。 カウンセラーの宮田です。 今月も、ラインで行う瞑想会「佐藤康行の太陽瞑想会」でお聞きした体験談をご紹介させて頂きます。

今回は、2022年5月にお聞きした深江裕宗さんの体験談です。

僕の体験談を発表させて戴きます。 愛知瞑想会所属、大阪在住の深江裕宗と申します。

皆さんどうぞよろしくお願いします。

僕の親父は現在87歳で、10歳から働き始め、18歳で産業用設備機械に塗装する焼付塗装会社を創業いたしました。

僕は2代目で、代表になって16年目になります。

僕が代表になる2年前、2004年に一人のA社員が入社してきました。 現在の工場長です。

当時いた社員は8名で、18時に仕事が終わると、すぐに帰るのが習慣でした。

ある日、仕事が終わって社員が着替えている間に、僕は商品の不具合を見つけて一人で塗装面を剥がしていました。

社員は何も気にせんと、「お先に」と言って全員が帰って行きました。

皆が帰ってから30分ぐらいたった頃かな、入社まもないA社員が会社に戻ってきて「僕も一緒に剥がしますわ。」と言って手伝ってくれました。

剥がし終わったのは夜中の12時、「ありがとうな。助かったわ。」と言って、ビールを持たして帰ってもらったのを覚えています。

勿論、翌日も仕事でしたわ。

当時、僕が工場長を兼務してたんで、役職を設けようと入社4年目になっていたA社員にお願いしました。    

「はい、分かりました。」と、満面の笑みで返事をしてくれました。

工場長手当として5万円を奮発しました。 ほんま嬉しそうでした。

それからの5年間というものは、残業なしで納期と品質を守り、社員と共に一生懸命働いていました。

そして、5年が経って昇給の時期が来ました。今まで残業せず頑張ってくれたんで、20時間分の残業代としての2万円を含め、4万円を昇給しました。

翌日、出社してきて工場長は「結局2万円しか上がってないやん。おかしいわ。」と文句を言いに来よった。

僕の説明が悪かったと思ったんで、もう一度説明をしたけど、納得しまへんでしたわ。

この日を境に工場長と僕と、そして、一緒に働いている嫁さんとも、深い溝が入り辛い辛い日々が始まりました。4年間ですわ。

例えたら、暗い顔をして出社して来て、一言もしゃべれへん。僕らの言葉の上げ足を取っていちゃもんを浸けてきよる。 なんでもかんでも、かんできよって、屁理屈ばっかり言いよりまんねん。

ホンマにくそっ腹が立たったけど、グッと我慢してましたわ。   ホンマにつろうおましたわ。 他にも僕が居てない時に、嫁さんにケンカ腰で文句を言いに来よったらしい。


この続きは、明日ご紹介させていただきます。