皆さま、こんにちは。 カウンセラーの宮田です。 今月も、ラインで行う瞑想会「佐藤康行の太陽瞑想会」でお聞きした体験談をご紹介させて頂きます。
今回は、2022年5月にお聞きした深江裕宗さんの体験談です。
僕の体験談を発表させて戴きます。 愛知瞑想会所属、大阪在住の深江裕宗と申します。
皆さんどうぞよろしくお願いします。
僕の親父は現在87歳で、10歳から働き始め、18歳で産業用設備機械に塗装する焼付塗装会社を創業いたしました。
僕は2代目で、代表になって16年目になります。
僕が代表になる2年前、2004年に一人のA社員が入社してきました。 現在の工場長です。
当時いた社員は8名で、18時に仕事が終わると、すぐに帰るのが習慣でした。
ある日、仕事が終わって社員が着替えている間に、僕は商品の不具合を見つけて一人で塗装面を剥がしていました。
社員は何も気にせんと、「お先に」と言って全員が帰って行きました。
皆が帰ってから30分ぐらいたった頃かな、入社まもないA社員が会社に戻ってきて「僕も一緒に剥がしますわ。」と言って手伝ってくれました。
剥がし終わったのは夜中の12時、「ありがとうな。助かったわ。」と言って、ビールを持たして帰ってもらったのを覚えています。
勿論、翌日も仕事でしたわ。
当時、僕が工場長を兼務してたんで、役職を設けようと入社4年目になっていたA社員にお願いしました。
「はい、分かりました。」と、満面の笑みで返事をしてくれました。
工場長手当として5万円を奮発しました。 ほんま嬉しそうでした。
それからの5年間というものは、残業なしで納期と品質を守り、社員と共に一生懸命働いていました。
そして、5年が経って昇給の時期が来ました。今まで残業せず頑張ってくれたんで、20時間分の残業代としての2万円を含め、4万円を昇給しました。
翌日、出社してきて工場長は「結局2万円しか上がってないやん。おかしいわ。」と文句を言いに来よった。
僕の説明が悪かったと思ったんで、もう一度説明をしたけど、納得しまへんでしたわ。
この日を境に工場長と僕と、そして、一緒に働いている嫁さんとも、深い溝が入り辛い辛い日々が始まりました。4年間ですわ。
例えたら、暗い顔をして出社して来て、一言もしゃべれへん。僕らの言葉の上げ足を取っていちゃもんを浸けてきよる。 なんでもかんでも、かんできよって、屁理屈ばっかり言いよりまんねん。
ホンマにくそっ腹が立たったけど、グッと我慢してましたわ。 ホンマにつろうおましたわ。 他にも僕が居てない時に、嫁さんにケンカ腰で文句を言いに来よったらしい。
この続きは、明日ご紹介させていただきます。