皆さま、こんにちわ。 YSこころのクリニック看護師の稲葉です。 本日は、海外講座受講時の事をお話致します。
2001年5月にYSメソッド北米支部が設立されました。 その記念で講演会が開催されたり、 真我我開発講座も予定されました。
その時にいわれていた言葉が、 海外講座は真我が3倍開くというものでした。
真我に出会い難なく仕事復帰ができ、 悩みの上司3人組に彼女らを支持していた 医師1人と4人まとめて退職した環境下になっていた頃の情報でした。
開催日は2001年9月末から10月初旬で、 観光付きでした。
海外講座は真我が3倍開くの言葉にひかれ、 受講を決めました。
2001年9月といえば、 ニューヨークテロが起きて間もない頃でした。 これは行けるのだろうか、 開催されるのだろうかと不安になりましたが、決行されました。
講座中のワークでは、過去悪いと思われる事と良いと 思われる事の書き出しがありました。 どちらかというと、悪いと思われる事の方が断然多く良い事が出てこない程の私は、スタッフの方へ相談しました。
すると、「わかりました。今はゴミ出しの時間に使っていいです。 すっきりなったところで、一気に内観して下さい」というアドバイスでした。
その通りに取り組み気分が切り変わった瞬間、用紙に書き出したのは、 ひづるひづるひづるひづる・・・・ ただ自分の名前だけでした。
頭で考えたんではなく、突いて出てきたという感じでした。 自分で呼んでいるようでもあり、そうでもないような、 ただ出てくるままに用紙に書き続け佐藤学長の前に出しました。
すると、「誰ですか。」と問われました。
私を起こそうとしているようでもあるけど、 誰といわれてもわからず答えられない状態でした。
そんな私に、佐藤学長は、「誰ですか?誰と思いますか?」 なんて追求もされず、そのままに終わりました。
まさか、あのひづるひづるひづるひづるの連呼こそが、 母の真実の愛に繋がる事だったという事に気付けたのは、 ずっと後の事になります。
そして、ただひたすらに、ひづるひづるひづるひづると用紙に書き綴っていたのは、ある種、自動書記だったのではないかと思っている私です。
バンクーバーに住んでいる日本人の人達と一緒に受講し思った事は、 私達日本に住んでいる者は幸せだなという事でした。
バンクーバーにいる人達は、 佐藤学長に会いたいと思ってもすぐ会える距離ではない。
私達は同じ日本じゃない。
会いたいと思ったら会える距離にいるじゃないと思ったのです。
これが後に、私が毎月の応用編(真我の実践研究会の前身)に通う基になったものです。
それから、帰国の飛行機の中でドラマのような事が起きました。
この続きは、次回に致します。 ありがとうございました。
以上です。 よろしくお願い致します。
稲葉ひづる